『修身教授録』を読んで
森信三さんといえば、名前だけでも知っている方は多いのではないでしょうか。
森信三さんは、明治29年愛知県に生まれ、京都大学哲学科で西田幾多郎の教えを受け、天王寺師範学校の専攻科講師となりました。昭和14年、旧満州の建国大学に赴任し、敗戦後、新京(現在の長春)を脱出、無事日本に生還しました。昭和28年、神戸大学教育学部教授に就任され、神戸大学退官後は神戸海星女子学院大学で教授を務められました。日本の教育界に大きな影響を与え、平成4年、お隠れになりました。
私は、小学校の月曜日の全体朝礼で、校長先生が「森信三先生」の名前をよく引き合いに出されていたので、そのときから覚えています。
森信三さんという方がすごい先生なんだ、ということは頭に刻まれたのですが、どんな話だったのかは覚えていません。
『修身教授録』は、森信三さんが大阪天王寺師範学校本科で昭和12年3月から昭和14年3月までの二年間に行った「修身」の講義を編集したものです。
当時は大東亜戦争に突入しようとする数年前です。経歴で紹介しましたように、森さんは実際に満州の建国大学に教授として赴任されているのです。
森さんの講義が一字一句起こされているので、当時の日本の政情を想像しながら、その場にいるような感じで読み進めることができました。
私はわれわれ日本人として、自分が天からうけた生れた力の一切を、国家社会のために捧げ切るところに、真に死生を超える道があると思うのです。
ここでわが力を捧げ切るというのは、自分の力を余すところなく生かし切るということであって、そこにおのずから死をも超える一道が開かれてくるのであります。
すなわちわれわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、さらには一如ともなるわけであります。
森信三 『修身教授録』より引用
これは、死生の問題を取り上げた講義ですが、17、18歳の、いまでいえば高校生くらいの生徒にこういう話をしていたのです。
この話は、国のために身を呈する、という文脈ではありませんし、戦時下といえども、そう単純にとらえてほしくはないと思います。
この講義自体が、教科書を使っていないということで、取り締まられるかもしれないという状況下で行われているのです。
時代に緊張感があります。
いまではこういう話は出来ないでしょう。否、出来る人がいないでしょう。
昔、日本の学校で教えられていた「修身」とは何だったのか、みなさまにもぜひ読んでいただきたい本です。
参考文献:『修身教授録』 森信三 (致知出版社)
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