『学問のすすめ』とマネジメント

Hitoshi Yonezu

2010年09月12日 10:00

 『学問のすすめ』の中には、マネジメントについて述べられている部分があります。(と、私が自分勝手に解釈しています。)
 
 第11編のお店の旦那の話の部分です。
 そのお店では、旦那が一番の物知りで、元帳を扱うのは旦那だけ。番頭や手代は、商売全体の仕組みを知ることもなく、ただ旦那の指示に従い、旦那の顔色をうかがっています。

 そんな番頭も旦那に気づかれないように、自分の担当する帳簿をごまかしています。旦那は、番頭に持ち逃げされてようやく、彼が信用できない人間だったことに気がつくのです。

 福澤先生は、この持ち逃げは、その人物が信用できなかったから起こったことではない、と言い切ります。大人に商売の利益を分けず、子供のように扱っていた旦那の考えが悪い、旦那が自分の好きなように店を運営していた・・・専制・・・というやり方があてにならなかった、というのです。

 この部分は「名分」(道徳上、身分に伴って必ず守るべき本分)が頼りのないものであると批判し、「名分」の代わりに「職分」(自分の立場による責任)を代入すべきであるという文脈から出てくるところです。 
 
 私はここを読みながら、福澤先生が批判されている「専制」とは、まさに「家業」、「生業」の経営のことを言っておられるのだ・・・と思いました。
 ここにはマネジメントという言葉は出てきませんが、「専制」がマネジメントの裏返しであることを示唆しています。

 もう少し書いてくださっていれば、「だからマネジメントの仕組みをつくるのだ」という文章が出てきたかもしれない・・・そんな雰囲気です。 

 明治七年に書かれていたことですが、今でも古くなっていません。明治時代と同様に混沌としている今こそ、福澤先生の言葉が響いてきます。

 私も社長という「名分」だけで仕事をしないように、自戒せねばなりません。

 

 参考文献:
 『学問のすすめ』 福澤諭吉 (岩波文庫) 
 

 『現代語訳 学問のすすめ』 福澤諭吉 斉藤孝訳 (ちくま新書)
 

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