幸せはどこにある?

Hitoshi Yonezu

2010年06月25日 10:00

 私は幸せとはまさに主観的なものであると強く思います。幸せと感じられるのか感じられないのか、その成否はあくまでも、当人の心の状態にあるのであって、普遍的な基準など一切ないと思うのです。

 物質的にいかに恵まれていようとも、際限のない欲望を追い続けていれば、決して幸せを感じることはできない。一方、物質的に恵まれず赤貧洗うが如し状態であっても、満ち足りた心があれば幸せになれる。

 (中略)

 幸福になれるかどうか、それは心のレベルで決まる ― つまり私たちがどれだけ利己的な欲望を抑え、他の人に善かれかしと願う「利他」の心を持てるかどうか、このことこそが幸福の鍵となるということを、私は自らの人生から学び、確信しています。

             稲盛和夫『「成功」と「失敗」の法則』から引用

 
 稲盛さんの考え方はこのブログでも何度かご紹介しています。

 先日開催しました当社の全社会議でも、改めてこの文章を社員に読んでもらい、みんなで勉強しました。


 どうしたら「幸せ」になれる?と聞くと、

 「現金1億円があったら、・・・」
 「うちの息子が○○大学に入学してくれたら、・・・」
 「うちの家内が○○してくれたら、・・・」
 「この苦労が報われれば、・・・」
 「社長が分かってくれれば、・・・」
 
 「タラ」と「レバ」のオンパレードになってしまいます。
 
 『レバ→レル』(○○になれば→幸せになれる)

 という、『レバレル』の公式は果たして正しいのでしょうか。 

 この辛い苦しい山道を登り切れば、その山のてっぺんの向こうに、本当に幸せな村があるのでしょうか???


 ない、と思います。


 なぜなら、

 稲盛さんがおっしゃるように、

 幸せとは自分の心が決めるものであり、

 どんなに苦労をしようとも、何かを乗り越えても、

 いま、この時点で、幸せだと感じられない人が、あとで幸せと感じられるようになるとは思えないからです。 
   
 乗り越えたあとには、また次の『レバレル』が出てきて、その時の状況に不平不満をこぼすようになってしまうでしょう。


 幸せは足元にある。


 足元にあることが信じられないとしたら、少なくとも1メートル先のその角を曲がったところにある。1メートルだけ進んで曲がればよい。


 そのことに気がついてほしいと思います。

 

 参考文献:『「成功」と「失敗」の法則』 稲盛和夫 (致知出版社)
 

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