蠅を打つ
蠅打てつくさんとおもふこゝろかな 成美
夏の暑さ耐えがたいひととき、うるさくまとわりついて来る蠅を蠅叩きを取って打ち、そののち打ち尽くそうとした自らの心の修羅を見つめているのだ。(『百人一句』より引用)
蠅を打つということも、殺生のうちのひとつだ。打ってしまっていいのかと考える。衛生のためには打たなくてはならない。
釣りは、実は殺生をしていることだ。楽しいから釣りをする。
いま大きな問題になっている家畜の伝染病、口蹄疫を撲滅するために、関係者の方が大変な思いをしながら殺生をされている。
こんなことを考え始めたら、きりがなくて、何も出来なくなってしまう。
なぜ我々はこう考えてしまうのか。
日本には昔から、この世にはどこにでも仏の心があるという、一切衆生悉有仏性という考え方が宿っているからではないか。
子供のころ、おじいさんから聞いた話だが、上田市のあるお寺の先々代の和尚さんは、腕に蚊がとまっても、殺生せずに、羽をつまんで逃してやっていたという。
今考えると、結構テクニックのいる難しい技のように思えるが、立派な和尚さんならそのくらいのことは出来たのかもしれない。
生態系の頂点にいる人間として、安全安心に暮らすために、殺生を避けるわけにはいかない。それがまぎれもない現実だ。
成美の俳句のように、自らの修羅のこころを見つめ、日々感謝して生きていこうと思った。
参考ブログ:
『万物すべてこれわが師』
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e479996.html
『蜂の怒り』
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e480323.html
参考文献:『百人一句』 高橋睦郎 (中公新書)
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