出来事はすべて中立

Hitoshi Yonezu

2010年12月28日 10:00

 「暑い」「寒い」、「遠い」「近い」など、私たちは何気なく「論評する」「評価する」言葉を使っています。それらはもともと実体がない。同様に、「つらい」のも「楽しい」のも、「悲しみ」「喜び」も、”実体”として存在するわけではありません。「思う心」だけではないのか。
 もともとは「中立」で、淡々とした事実として、ある出来事が存在するだけです。それ(”空”なること)に対して、「つらい」とか「楽しい」とかの論評、評価を与えている(”色”をつけている)のが「私」。未熟な「私」。


                     小林正観著『この世の悩みがゼロになる』より引用



 小林正観さんは、仏教の「空」の世界について、いろいろなご著書で解説されていますが、この説明もとても分かりやすいですね。

 何が起ころうとも、すべての出来事は中立なこと、右も左も、楽しいも辛いも、幸せも不幸せもないのです。

 「これが幸せだ」という決まった現象がないのと同様に、「これが不幸だ」という現象もないのです。

 そのようなことを感じたとすれば、それを決めているのはすべて自分です。
 
 自分では何とも思っていなかったのに、他人に「大変ですね・・・」と言われたとたんに、自分でも、「私は大変なんだ、苦労しているんだ・・・」というような気持ちになってしまうことがあります。
 それはただ自分がそう思ってしまっただけ、というわけです。

 小林正観さんは、例としてオセロゲームを取り上げていますが、自分の心次第で、人生はすぐに、白にも黒にも変えられるのです。
 
 それを支配しているのは、自分のこころ・・・
 
 なんと未熟な私なのでしょうか・・・
 

 参考ブログ:「無いのではなく透明なのだ」
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e287169.html
 
 参考文献:『この世の悩みがゼロになる』 小林正観 (大和書房)
 

 
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