忘れるためにメモをとる
講義や講演を聞いて、せっせとメモをとる人がすくなくない。忘れてはこまるから書いておくのだ、というが、ノートに記録したという安心感があると、忘れてもいいと思うのかどうか、案外、きれいさっぱり忘れてしまう。本来なら忘れるはずのないことまで忘れる。
(中略)
つまらないことはいくらメモをしてもいい。そうすれば、安心して早く忘れられる。大切なことは書かないでおく。そして、忘れてはいけない、忘れたら、とり返しがつかないと思っているようにするのである。
外山滋比古著 『思考の整理学』より引用
講演でも、会議でも、いろいろなことをメモしている自分としては、外山先生のこの文章には驚いた。
私は、全くそう思わないからだ。
私の場合は、ただ安心のためにメモをして、それで終わり、ではない。
大切だと思った部分は、必ず読み返しているし、非常に大切だと思ったことはパソコンで打ち直してデータ化し、保管したり、人に見せたり、話したり、何かのために使っている。
つまり、メモをとりながら、そのメモのアウトプットや活用法を考えているのである。
読書でも全く同じことだ。漫然と読むのではなく、どうやって使おうか、と常に考えながら読んでいる。
そうすれば、読書も、講演も、必要のない部分は捨てることが出来るようになり、理解がはやく、効果的になる。
あとで使おうとする具体的なプランがないのなら、外山先生がおっしゃるように、メモをとることは忘却のための格好の手段なのかもしれない。
参考文献:『思考の整理学』 外山滋比古 (ちくま文庫)
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