いかにうまく忘れるか

Hitoshi Yonezu

2010年01月29日 10:00

 忘却は古典化への一里塚ということである。なるべく忘れたほうがいいと言っているのも、個人の頭の中で、古典的で不動の考えを早くつくり上げるには、忘却が何よりも大切だからにほかならない。
 思考の整理には、忘却がもっとも有効である。
 (中略)
 忘れ上手になって、どんどん忘れる。自然忘却の何倍ものテンポで忘れることが出来れば、歴史が三十年、五十年かかる古典化という整理を五年か十年でできるようになる。時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典をつくりあげる方法である。
                                外山滋比古著 『思考の整理学』より引用


 どうやら私は悪い意味で記憶力がよいようで、思い出したくない、覚えていたくない昔のことがときどきふっと脳裏に浮かんできて、少しいやな思いをすることがある。

 高校の同級生と昔話をすると、覚えている事柄自体が人によって全く違っていたり、同じことについて語っているのに、全く違った視点から見ていたりする。
 人間の記憶というのものは、実は独りよがりなものなのだろう。
 
 私が思い出してしまう昔の記憶も、もしかしたら、ちょっとしたことを自分に悪く解釈しているだけなのかもしれない。


 上に引用した部分で外山先生がおっしゃっているように、忘却することにより古典化が進むというのはまさにその通りだと思う。
 私のような40年そこそこの人生でも、頭の中で古典化された、教えなり、着想なり、言葉なり、書籍なりに、いま、重みを感じているからである。

 私の友人に、ものを忘れる、というより、ものを覚えない人がいる。
 興味のないことは、あえて覚えようとしないで、その部分はすべて人に任せて、いつもニコニコ楽しそうだ。
 それでいて記憶力が悪いわけではなく、興味のあることはきちんと覚えていて、立派な仕事をされて、幸せに暮らしておられる。
 私の頭の中がそろばんだとしたら、そういう方の頭の中は、絵筆なんだろうな~と思う。

 自分のことを記憶力がいいと申し上げたのは、自慢するためではなくて、記憶力がよいことが人生にとっていいことばかりではない、と純粋に思っているからだ。

 外山先生がおっしゃっているように、忘れることは忘れて、よいものだけ、太いものだけを残し、古典化していく。

 それが思考の整理でもあり、より楽しく、より幸せに生きるための、心の整理でもあるのだろう。
 
 参考文献:『思考の整理学』 外山滋比古 (ちくま文庫)
 

 記憶のいい加減さの実際についてお知りになりたい方は、以下の本を御参考になさってください。
 『反対尋問の手法に学ぶ 嘘を見破る質問力』 荘司雅彦 (日本実業出版社)
 
 この本に関する私のブログ:『嘘を見破る質問力』
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e388502.html

関連記事