腹八分目

Hitoshi Yonezu

2010年01月10日 11:27

 メタボという言葉があまねく使われる昨今、腹八分目がよいと言いますが・・・

 江戸時代にもすでに同じことが言われていたのです。

 貝原益軒の『養生訓』は、正徳二年(1712)に書かれた生活の心得書です。「巻第三 飲食 上」より引用いたします。

 珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり。少(すこし)の間、欲をこらゆれば後の禍なし。少(すこし)のみくひて味のよきをしれば、多くのみくひて、あきみちたるに其楽(たのしみ)同じく、且(かつ)後の災なし。万の事十分にいたれば、必(ず)わざはひとなる。飲食尤(もっとも)満意をいむべし。又、初に慎めば必(ず)後の禍なし。
 (以上引用)
 
 以下は私訳です。
 珍しいもの、おいしそうなものがあっても、腹八分か九分でやめておきなさい。満腹になるまで食べるとあとで病気になりますよ。少しだけ欲を抑えることができればいいのです。少しだけ食べて味のよさを知ることができれば、たくさん飲み食いするのと同じくらいの楽しみを得ることができますし、あとからも何の問題もありません。何であってもたくさん食べれば、必ずあとで大変なことになります。満腹になるまで食べてはいけません。はじめから慎んでくださいね。
 (でたらめに現代語訳をしましたが、古文の先生、こんな感じでよいでしょうか・・・)
  
 江戸時代のことですから、いまのようにいろいろな食べ物はなかったと思うのですが、それでもお腹いっぱい食べたくなるような魅力的なものがあったのでしょう。何を食べていたのかなーと想像してしまいます。

 私の父母や、亡くなった祖父母に聞いた話では、60~70年前、戦前戦後の日本には、食べるものがありませんでした。
 腹八分目、当たり前のことだったでしょう。

 私の子供のころは、親が忙しくてご飯が作れなかったということはあったかもしれませんが、後から食べられたわけで、食べるものが不足していたという記憶はありません。 

 今の日本では、食べるものは、量も質も種類も、すべて満たされています。

 食べるものは確実にあることが前提で、うまいか、まずいかを議論するような時代になりました。だから、メタボの問題や、腹八分目という話が出てきているのでしょうが・・・

 貝原益軒が『養生訓』を書いたのは、前には徳川吉宗、後には徳川家治、田沼意次の政治、と流れていく、江戸幕府第九代将軍、徳川家重の時代です。

 腹八分目が説かれていたくらいですから、いまと同じように、このころも平和な世の中だったのでしょうね。
 
 参考文献:『養生訓・和俗童子訓』 貝原益軒 (岩波文庫)
 

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