2013年12月30日 10:00
読者の皆さんは、すでにおわかりであろうが、芭蕉以前の俳諧文芸においては、もっぱらいかに読者(仲間)を笑わせるかに全エネルギーが注がれていたのである。いきおい、その世界は、知的、観念的にならざるを得なかった。対象を見ることをしないで、その対象をテーマとする作品を作ったのである。それが俳諧という文芸であったのであり、誰一人として、それに対し疑問を持つ俳人はいなかった。
『俳句と川柳』 p147より引用
芭蕉は、詠まんとする対象と対峙したのである。そして対象をよく見、よく聞いたのである。そんなことをする俳人は、芭蕉以前に一人もいなかった。
『俳句と川柳』 p149より引用
一言で言えば、「穿ち」、すなわち世相や風俗を穿つところから生じる人情味豊かな噛みしめるような、静的な「笑い」だったように思われる。そして、この特質は、決して放擲すべきではないと、私などは思うのである。川柳が「笑い」を伴う「穿ち」を放擲ししまった時、それは、単なる五・七・五の十七音の、何ら特質を持たない短詩となってしまう。
私は、俳句における「笑い」の復権とともに、川柳における「笑い」を伴う「穿ち」の復権を提唱しておきたい。
『俳句と川柳』 p177より引用
俳句の面白さが、「飛躍切部」(「切れ」)があることによってのイメージに委ねられた面白さであるのに対して、川柳の面白さはやはり「穿ち」(着眼点)の面白さにあろう。川柳作者は、世相や人情や風俗を独自の視点により把握し得る鋭利な眼差しを必要とされているのである。「飛躍切部」(「切れ」)がない以上、読者のイメージに訴えて、読者に「余意」や「余情」を感受せしめる、ということができないのである。
『俳句と川柳』 p245より引用