『「普通がいい」という病』を読んで
泉谷閑示さんの『「普通がいい」という病』を拝読いたしました。
泉谷さんは1962年秋田県生まれ、東北大学医学部卒業後、東京医科歯科大学附属病院、財団法人神経研究所付属晴和病院、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法を専門とする南青山泉谷クリニックの院長を務めておられます。精神科の医師です。
この本はそもそも、泉谷さんの精神療法の研究会に集まる若いカウンセラーたちの参考書としてプライベートな目的で作られたものだったそうです。それが一般の方やライターの方に好評を得て、請われて出版されることになったそうです。
この本を読むとさまざまな精神的な疾患が紹介されていて少し重い気分になりました。
私は大変ありがたいことに健康的な生活を送ることが出来ていますが、そうはいっても境界にいるにいるのかもな、とも感じました。健康はぎりぎりのバランスの上に成り立っているのではないかと思うのです。
心と体だけであれば、精神を病むこともないのですが、人間には頭というものがあるために、これが問題の元になっているのですね。
私の母は「よく眠れない」と嘆いています。いろいろ治療しましたが、全然よくならないようです。
泉谷さんによれば、眠りというものは本来身体の方から自然に訪れるもので「頭」の意思の力でどうにかできるものではないそうです。
「頭」による「眠れ!」という差し出がましいコントロールに対して、「身体」が意地でも「眠るまい」と反発するからです。
そうしますと、厳しく言えば「眠れない」ことを「苦にする」こと自体、「頭」が「身体」をコントロールできるはずだと思い上がっている状態にあることを示しているわけです。
『「普通がいい」という病』 p221より引用
頭と体は上下関係にあるわけではないのですね。
ところで、この不眠が告げるメッセージとは何でしょうか。
これは、長い間私には謎でしたが、ふと「毎晩眠るということは、毎日死ぬことである」ということに思い至って、やっと解読の糸口がつかめてきたのです。そう考えてみると、「不眠とは死ぬに死ねない状態である」ということになる。「死ぬに死ねない」というのは、幕を下ろす気になれないということであり、「今日という一日を生きたという手応えがない」という未練があることを示しているのです。
『「普通がいい」という病』 p224より引用
こういう原理だとしたら、誰でも不眠になる可能性はあります。
私は、いま健康であることに、ただ感謝するしかありません。
参考文献:『「普通がいい」という病』 泉谷閑示 (講談社現代新書)
関連記事