お盆を迎えて
今日からお盆ですね。
みなさま旅行やら帰省やらで楽しんでおられることと存じます。
新盆をお迎えになるご家庭では、どうぞ深いご供養で仏さまをお迎えください。
みなさまにとってよい思い出になる夏でありますことをお祈りいたします。
森信三さんの『修身教授録』より引用いたします。
そもそも人生の意義いかんということについては、いろいろの考え方がありましょうが、われわれ日本人としては、自分が天よりうけた力を、この肉体的生命の許される限り、十分に実現して人々のために尽くし、さらにこの肉体の朽ち果てた後にも、なおその精神がこの国土に残って、後にくる人々の心に、同様な自覚の火を点ずることにあるかと思うのです。
森信三著『修身教授録』第3講より引用
今日は忙しいので、早朝にお墓参りに行って、おじいさん、おばあさん、妻など、亡くなった親族のことを思い出しておりました。
かくしてわれわれが、人間としてこの世に生まれてきた意味は、この肉体が朽ち果てると同時に消え去るのでは、まだ十分とは言えないと思うのです。というのも、この肉体の朽ちると共に、同時にその人の存在の意味も消え去るというのでは、実は肉体の生きている間も、その精神は十分に生きていなかったという、何よりの証拠と言ってよいでしょう。
森信三著『修身教授録』第3講より引用
昔はこういう内容のことを「修身」という授業として学校で教えていたのです。私が小学校の頃には「道徳」という授業がありましたが、時間も少なかったですし、内容も少し違います。
森さんは大変厳しい内容を述べておられますね。若者に対して大きな期待をこめていたからだろう、と思います。
私も何かを残せるように一生懸命生きたいと思います。
亡くなった方に対しては「残った者がみなさま方を思い出しているのはみなさま方が十分に生きた証拠ですから、安心して成仏なさってください・・・・・・」と祈っておりました。
参考文献:『修身教授録』 森信三 (致知出版社)
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