自分の中の野生性

Hitoshi Yonezu

2012年07月06日 10:00

 宴会の席で打ち明け話をしていると、どんなに立派でまじめにみえる方も、一つくらいは人には言えないような経験をされていることを知ります。そういう話にむしろその方の人生の豊かさを感じます。

 白取春彦さんは『生きるための哲学』の中で、不倫、乱脈な関係、暴力などは違法とされてはいるが、これらは社会や文化がつくりあげた人工環境の縛りからの「野生性の発露」であると述べておられます。

 もし、そういう野生性のいわば自然的な発露を徹底的に抑圧しようとするならば、室内だけで飼われる犬や猫が心身症になるのと同じように人間もまた深く病み続けるだろう。
 つまり、ペットが一個の生命として持っている野生性を完全に抹殺できないように、人間の心身にわたるいっさいを社会という枠の中で飼い馴らすことは不可能なのだ。人間は知性を持ちながらも、生き物の形としては動物だからである。

                    『生きるための哲学』より引用


 私は決して違法なことをすすめるものではありませんが、自分の中にそういった野生性があることを知ることが少し人生を楽にしてくれるのではないか、と思いました。

 「あなたは常に向上心に満ちていて前向きですか?」という質問をされたとしたら「はい、いつもそうです。」と答えるのが、模範解答だと思いますし、一般の人もそういう答えが出てくることを望んでいると思います。
 否そう答えなくてはならないのが現代ののビジネス社会です。

 では、続いて「絶対にいつもですか?」と聞かれたとして「はい、絶対にいつもです。」と答えられる人はいったいどれだけいるのでしょうか?

 「いやいや、毎朝ぐったりしてやる気が起きないよ。仕事に行く気にならないなあ。」という答えをされる方がいてもおかしくはないのです。

 あまりにもまじめに抑え過ぎてしまうと、人生に面白味がなくなり、やがては身体に変調をきたすことになるでしょう。

 周りの方々に迷惑をおかけしない範囲で、自分の中の野生性を少しだけ発揮するのは許されるのではないか、と思いました。
  
  


 参考文献:『生きるための哲学』 白取春彦 (ディスカヴァー・トゥエンティワン)
 

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