美しい女性
うちの会社でアルバイトをしている若い女性たちと話をすると、まだ20歳代前半なのに、年をとってしまったというようなことを大真面目に話す者がいて、とても滑稽だ。私から見れば、20代の若者にそんなに大きな違いはないのである。どの若者もみずみずしく、元気があって、素晴らしいと思う。自分のよいところに気がついていないだけなんだ。
若い女性が特に気にしているのは、外見的な美しさのことであろう。冒頭のような話をしながら、一方で飯も食べずにチョコレートやらプリンやらを食べ、煙草を吸っている。なりたいと思う理想の姿と、現実の自分の行動はあまりにも矛盾している。そして、その矛盾になかなか気がつくことが出来ない。
花の命は短いのだ。どんなに外見の美しさにこだわりたいとしても、時間の経過には抗えない。イメージをしたくなかった現実が次々と表れてくるのである。
しかし、変わっていくのはあくまで物理的な外見のことなのである。本来、外見には年にふさわしい変化があって然るべきで、変化がないとしたら不自然である。何らかの方法によって、しばらくは変化を隠し遂せたとしても、永遠に隠すことができた人は、いまだかつてこの世の中に一人もいないだろう。
もし、女性の美しさを外見だけに求めるのであれば、移ろいは必ずやって来るのである。芸能人を考えれば分かりやすい。例えば、今から25年前、私が高校生の頃に大人気だった女性芸能人を思い出してみる。その中に、今までずっと大人気を維持できたという人物はいるかどうか?女優、歌手、タレント、どう探しても、誰もいないのである。
されば、美しい女性は、若い女性だけに限られるのか?決して、そんなことはあるまい。どの年代にも美しいといわれる女性は確実に存在する。
美しい女性というのは、外見よりも、内部が美しいのである。内部と一言で申し上げたが、その女性の人生、経験、精神、学び、想いなどが目に見えない光となって内部からめらめらと輝いているのだ。お店をまもってきた女性、家を守り、ご主人を守り、子供を育てた女性、一人で生き抜いてきた女性、知を積み重ねた女性、芸術を追求する女性、怪我や病気を克服した女性、トラブルを乗り越えた女性などなど、かっこよく、美しい女性はいくらでもいるのである。世のため人のために正しく生きてきた。しなやかで、頑固ではないがゆるぎない念力をもっている。
一見して美しそうに見える女性ではなく、内面的に美しく生きている女性こそが、本当に美しい女性であると断言できるのである。
芸能人の話に戻るならば、一度は人気が落ちても、また復活している芸能人には外見とは一線を画す強い魅力があるではないか。
若い女性たちをただ若いというだけでちやほやしてしまったり、無知を売りにしているような芸能人を取り立ててしまったりすると、本人たちはそれが自分の美しさの根拠かもしれぬと大きな勘違いをしてしまう。彼らの将来のためにも、本当に申し訳ないことなのである。
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