2013年10月04日 10:00
しかし、誰もが知る合理的な分析手法に従って考えている限り、行き着く答えは似通ったものになる。教科書の公式にただ数字を当てはめて計算しているなら、なおさらだ。「投資すべき」という結論も、「投資すべきでない」という結論も、だいたい皆同じになってしまう。
これでは他人と違うことなどできない。皆、よかれと思って行っている合理的判断が差別化を阻害しているのである。
『合理性を超えた先にイノベーションは生まれる』 p19より引用
合理的な分析結果を鵜呑みにするのでなければ、無視するのでもない。それを踏まえた上で、あらためて自分の頭と、そして心で最終判断を下すのである。合理性を無視するのではなく、合理性を超えるのだ。
『合理性を超えた先にイノベーションは生まれる』 p20より引用
内部統制は、日本においては2009年3月期から制度化された。それから一躍脚光を浴びるようになったが、実は内部統制という概念自体は古い。制度化されたということの意味は監査対象になったということだ。
監査対象になったことで、内部統制が形式的なものになってしまった面がある。
『合理性を超えた先にイノベーションは生まれる』 p104より引用
そこでは、「面白いから」「ワクワクするから」という理由は理由にはならない。
それが理由にならないなら、面白いこともワクワクすることもできない。その結果、当たり障りのないことばかりやるようになる。仕事は面白くなくなり、会社そのものもつまらない会社になってしまう。
これは内部統制の弊害というよりも、内部統制が監査対象になったことによる弊害だ。
『合理性を超えた先にイノベーションは生まれる』 p105より引用
幸い、2011年4月から内部統制報告制度は相当簡素化された。ついでに望むらくは、内部統制は監査対象から外したらどうだろうか。監査対象になっている限り、会社は形式的な証拠集めに付き合わなければならない。そんなことに多くの時間を取られるのはおよそ生産的とはいえない。
『合理性を超えた先にイノベーションは生まれる』 p259より引用