泣かしているのではないか

Hitoshi Yonezu

2011年03月24日 10:00

 地震で被災された皆さま、および関係の皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。

 被災地にはいまだ物資が行き届いておらず、12時間も並んでやっとガソリンを購入できたという話を聞きましたし、食料品もまだまだ全く足りていないそうです。避難所での生活も苦しいでしょう。

 私は幸いにして普通の生活をさせて頂き、感謝しておりますが、被災地のみなさまには本当に申し訳なく感じております。

 『松下幸之助 成功の金言 365』の3月24日の節より引用します。
 
 今日、私たちが享受している豊かで便利な生活も、先人の方々のものを生かそうとする熱心な努力によって、築かれてきたものにほかならないでしょう。
 そんなことを考えながらお互いの身のまわりを眺めてみるとき、私たちは今日の豊かな生活に慣れてしまって、ものをほんとうに生かす努力をを怠り、多くのものを泣かしているのではないか、そんな気もするのです。 


 このエッセイは『PHP』の昭和59年4月号に掲載されたものですが、当時はバブル経済が始まらんとするときです。
 この文脈では、無駄遣いのことを指摘しているのではなくて、製品を始めとしてさまざまなものをほんとうに生かし切って、役立てているか、ということを指摘しています。

 昭和終盤から平成の始めにかけて、過剰な投資がなされて、浮ついたお金が消えていったことを考えると、松下幸之助さんの炯眼というべきでしょう。

 今回、地震が起こって、生活のさまざまな部分に変化がでてきました。私の会社でも照明をいつもよりも暗くしておりますが、お客さまに叱られることはありません。

 変電設備の容量の問題で、中部電力の電気を使っている私がいくら節電しても、東京電力の電気を使っている皆様にはあまり関係がないことが分かってはいるのですが、小さなところから行動を変えようという意気込みです。

 ものとはいえ、ものの一生を大切にして使いきる・・・そういうコンパクトな、昔の生活に戻る機会ではないか・・・と感じております。

 被災されている皆さまに一刻も早く平和が戻りますことを心よりお祈りいたしております。

 

 参考文献:『松下幸之助 成功の金言365』 松下幸之助 (PHP研究所)
 

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