2011年03月13日 10:00
どうにもならない災害をゆるす
一九八九年、サンフランシスコ大地震で、多くの人たちが住む家を失いました。家を失ったある一家は、サンフランシスコ湾の反対側のオークランドに新しく居を構えました。ところが数年後、その家も山火事で全焼したのです。
こういう体験をすれば、誰もが被害者意識にとりつかれて、自己憐憫の泥沼に陥ってしまうかもしれません。しかし、この一家は違いました。彼らはまず、これらの体験によって生じた感情を受け入れ、そのうえで出来事のすべてをゆるしました。なぜそんなことが起きたのかは説明できないと認め、被害者意識にとらわれることなく、新しい一歩を踏み出しのたのです。
毎週、世界のどこかで自然災害が生じ、多くの人たちが厳しい状況に直面します。被害者意識にとらわれ、一生恨みながら生きていく人も多いかもしれません。では、先ほどの家族は、どのようにして癒されたのでしょうか。
彼らはまず、「なぜ」という疑問が無意味だと気づきました。答えは永久に謎かもしれません。災害から立ち直るには、「なぜ」ではなく「何」を考えなくてはなりません。
この状況から「何」を学べるだろう。前進するためには「何」をすればいいだろう。この体験を将来の教訓にするならそれは「何」だろう・・・・・・。
とても貧しい国で自然災害が起これば、着のみ着のままで、わずかな食物しかない人たちも出てくるでしょう。彼らはそんな状況で生命の大切さを知り、いちばん大切なものは家族や友人の愛だと、痛感するのです。