けじめが大事
朝起きて顔を洗ったら、まず仏前にすわって手を合わす。一家そろって手を合わす。たとえ線香の一本でもよい。これで朝のけじめがつく。夜ねるときもおなじこと。夜は夜で、キチンとけじめをつけねばならない。別に形にとらわれる必要はないけれど、一日のけじめはこんな態度から生まれてくる。何ごとをするにも、けじめがいちばん大切で、けじめのない暮らしはだらしがない。
松下幸之助『道をひらく』より引用
子供のころ、祖父母がお仏壇やご神前に手を合わす姿を毎日のように見ていた。お盆とか、お彼岸とか、お正月とか、特別のときには一緒に手を合わせた。それ以外のときには、ただその背中を眺めていた。
仏さまや神さまにお参りすると、どうなるのだろう。何が起こるのだろう。どんな力がつくのだろう。すべてがうまくいくようになるのかな。
そんなことに興味があった。
お祈りする意味が分からなかったにせよ、子供のころにそういうものを見て育ったから、いまも仏さまや神さまにお祈りすることに抵抗がない。逆に、できないでいると、気持ちが悪くなる。
松下さんは、お仏壇に手を合わすことを、宗教的にとらえないで、けじめだとおっしゃった。躾の一部だということだ。
仏壇に手を合わすことは、昭和40年代くらいまでは、日々の、普通の生活だったに違いない。
いまではこういう話はお嫌いな方も多く、本当は、話すのははばかれることだ。私も特別におすすめするものではない。
いまの生活で、自分への躾として、何をけじめにするのか。それだけはもっておきたいと思った。
参考文献:『道をひらく』 松下幸之助 (PHP研究所)
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