2014年02月06日 10:00
もし成果をあげる能力が音楽や絵画の才能のように天賦のものであるならば、悲惨というべきである。いかなる分野においても偉大な才能は稀だからである。そうであるならば、成果をあげる能力に恵まれた若者を早く発見し、最善を尽くして育てなければならない。だがそのような方法では、現代社会に必要な数を確保することはほとんど望み薄である。
P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 p40より引用
しかし逆に、もし成果をあげる能力が修得できるものであるならば、問題は次のようなものとなる。すなわち、その能力は何から成り立つか、具体的に何を修得すべきか、修得の方法はいかなるものか、それは知識か、体系的に修得できるものか、あるいは徒弟的に修得すべきものか。基本の繰り返しによってのみ修得できるものか。
P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 p40-41より引用
言い換えるならば、成果をあげることは一つの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は修得することができる。それは単純である。あきれるほどに単純である。七歳の子供でも理解できる。しかし身につけるには努力を要する。掛け算の九九を習ったときのように練習による習得が必要となる。六、六、三六が何も考えずにいえる条件反射として身につかなければならない。習慣になるまで何度も反復しなければならない。
P.F.ドラッカー 『経営者の条件』 p42より引用