ロウソクの長さの差
今年もいよいよ押しつまり、お忙しくお過ごしの御事と存じます。
日ごろは大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
先日、ある会の社会奉仕活動で児童養護施設を訪問する機会がありました。
児童福祉法第41条によれば、児童養護施設とは「保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」とされています。
訪問した施設にいるほとんどの児童には親御さんがおられるそうですが、一緒に暮らすと問題が起こるためにこの施設に預けられているのです。
どの児童も大変な思いをしてこの施設に来たのだと思いますが、ともにコンサートを聞いたり、ケーキを食べたり、お茶を飲んだりしていると、みんな明るく屈託がなく元気な子どもたちばかりでした。
一緒に参加されたお坊さんがロウソクの講話をしてくださいました。
そのお坊さんは毎朝御本尊の前に長いロウソクを二本立て、そこに火を点けて読経されています。
同じ長さのロウソクを立てているのに、なぜかいつでも右側のロウソクが数センチ早く燃え尽きてしまいます。灯る時間が違うことを不思議に思ったそうです。
実はお坊さんにはいつも右側のロウソクから先に点灯する習慣がありました。この毎日の小さな時間の積み重ねが、ロウソクの残りの長さになってあらわれてくるのだ、ということに気がついたのです。
小さな積み重ねが大きな差となるということをお坊さんは子どもたちに教えたかったのです。私もまったく同じ経験をしたことがあったので、よい話だなあと思いながら聞いておりました。
しかし、考えてみると、こういう話は帰納法的な帰結を求めるものです。
やや残酷な話になってしまいますが、小さな積み重ねが成果に結び付くという論理がすべての場合において真なり、というわけにはいかないのです。
大人ならば、小さな努力を積み重ねた結果、大きな差が出るということを知っていますが、もしかしたら差が出ないかもしれない、ということも知っています。
そして、もしも差が出なくても、その過程で人生で大切な何かを得ることができる、ということも分かっているのです。
世の中はとかく成果ばかりに焦点があわされています。徒手空拳で社会に出ていくあの子たちはうまくやっていけるのだろうか、と不安が頭をよぎりました。
思い通りにうまくいったらよいですが、たとえうまくいかなかったとしても、がんばったのに結果が出なかった、積み重ねなんて嘘だ、とがっかりしてお終いにしてほしくないのです。
それでも得るものがあってよかった、次の段階へいこう、別のことをやってみよう、と受け止める器の大きさを培ってほしいなあと思ったのです。
よい方向に育って立派な大人になってほしい、と心から願っております。
日々寒くなってきています。どうぞお身体に気をつけて、よいお年をお迎えください。来年がみなさまにとって素晴らしい年であることをお祈りいたします。
おかげさまで当社も何とか営業を続けることができています。一年間、本当にありがとうございました。
関連記事