テレビを買い替えなかったので

Hitoshi Yonezu

2011年08月01日 10:00

 残暑お見舞い申し上げます。

 みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日ごろは大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて、7月23日をもって、テレビの地上およびBSのアナログ放送は終了し、デジタル放送に移行したそうです。私は何も対策をとらなかったために、テレビは使えなくなりました。
 とはいっても、このところ家のテレビは電源を抜いてしまって、使用していませんでしたので、生活に何の不便もございません。

 そんな生活では世間様とお話ができないでしょう?と言われますが、緊急なニュースはラジオがあれば大丈夫ですし、その他の情報は、動画も含めてインターネットがあれば何でも分かります。(大震災の情報もラジオを頼りにしましたし、AKB48の選挙結果やマルモリのダンスも知っています。)

 高尚な理由があってテレビをやめたのではないのです。私は弱い人間でテレビに依存してしまうので、断ち切ったのです。一昨年の12月にコンセントを抜きました。
  
 最初は、リモコンに手が伸びることもありましたが、コンセントが入っていないので、電源が入りません。そのうちにどうでもよくなり、世の中が地デジ移行と大騒ぎしている頃には、買い替えないでおこう、と決意しておりました。
 
 報道や文化の番組にはよいものもたくさんあると思いますが、偏ったものもあるので、自分の意思を形成していくためにはマスコミの情報だけでは問題があるのではなかろうか、と思います。

 テレビを見なくなったことの恩恵は、読書の時間がとれるようになったことです。私にはテレビよりも読書の方が性に合っているような気がします。
 おかげさまでビジネス読書会という小さな集まりも開くことができるようになりました。

 有名な哲学者、教育者である森信三さん(1992年逝去)は、『修身教授録』の中で、読書について次のように述べておられます。

 とにかく先にも申すように、読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、一日読書を廃したら、それだけ真の自己はへたばるものと思わねばなりません。肉体の食物は一日はおろか、たとえ一食でもこれを欠いたら、ひもじい思いをするわけですが、心の養分としての読書となると、人々はさまで考えないでいるようですが、諸君らの実際はどうでしょうか。

                     森信三 『修身教授録』より引用


 森さんは読書を「心の養分」、「心の食物」と呼んでいます。私には養分というイメージはないのですが、電車の中などでは本が読めないとどうも落ち着きません。(これは本に対する依存ですから、テレビへの依存と変わりませんね。)

 夏の一夜、テレビのスイッチを切って、積んである本を開いてみるのはいかがでございましょうか。

 末筆となりますが、皆さまのご多幸、ご健勝を心よりお祈り申し上げます。いつもありがとうございます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 

 ご興味のある方は、ビジネス読書会にご参加ください。詳細につきましてはこのブログの右の欄をご参照ください。

 参考文献:『修身教授録』 森信三 (致知出版社)
 

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