何をもって憶えられたいか 2

Hitoshi Yonezu

2011年06月08日 10:00

 私が十三歳のとき、宗教の先生が「何をもって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」といった。 

            『ドラッカー365の金言』 6月8日の節より引用


 昨年の6月8日のこのブログでも、この文章を引用しました。

 私は43歳から44歳になり、50歳にだんだん近づいてきましたが、この問いにはまだ明確に答えることができておりません。

 ブログは便利なもので、検索機能を使って、簡単に昔の記事を探すことができます。

 過去の記事を読めば、自分の成長、または、マイナス成長が分かります。

 「あー、一年経っちゃったけど、また同じところで迷っているなあ!」と反省するばかりです。

 ブログは私にとっては恥さらしのようなものです。

 来年の6月8日もまたここで逡巡しているかもしれません。

 

 参考文献:『ドラッカー 365の金言』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 

 参考ブログ:「何をもって憶えられたいか」
 http://highlyeffective.naganoblog.jp/e486729.html

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