子供たちがたくさんいた頃
朝夕、日ごとに涼しくなってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
夏休みには、ご実家に帰省された方も多かったのではないでしょうか。
船ほどの靴脱ぎ捨てて帰省の子 今城知子
この俳句をみて、昭和40年代から50年代にかけて、小学校の夏休みに母の実家に遊びに行った時の事を思い出しました。
母の実家は上田市近郊の農村部にありました。六人兄妹で、長男は家を継ぎ、それ以外の方は全員町の外へ嫁いでいきました。
しんちゃん、けいこちゃん、のりちゃん、はじめちゃん・・・、従兄弟(従姉妹)たちが13人います。実家のおじさんは司令塔のような絶対的存在でしたが、それぞれがばらばらに近くの小川で遊んだり、竹馬をしたり、プールへ行ったり、好きなように、毎日楽しく遊んでいました。
おばあさんは家の中でいつも何か作業をして動いていましたし、おじいさんは暗くなるまで畑で働いていました。おばさんはささやに勤めていましたが、働きながらあれだけの子供の世話をして本当に大変だったと思います。
夕ご飯を食べるときには、同じ場所では食べられないくらいたくさんの人がいました。大勢で押し掛けてしまって、実家の皆さんにはご迷惑をおかけしましたが、それだけの包容力があったのです。
田舎で食べるご飯はおいしくて、のり玉のふりかけをかけるだけで、何膳でも食べることができました。実家でとれたアスパラや、玉子や、トマト、トウモロコシなどの味や歯触りは今でもよく覚えています。
いまでは、いとこたちが集まることもなくなりました。
いまもそうですが、これからも、日本という国全体で子供が減っていきます。
昭和40年代の出生率は2程度でしたが(2009年は1.37)、数の多い戦時中生まれや、もっと数の多い団塊世代の女性が出産適齢期に達したので、子供の数が増えたのです。
出生率が高い低いという問題よりも、出産適齢期の女性の数が圧倒的に多かったのです。
日本の出生者数は209万人だった1973年を戦後第二のピークとして、2007年には109万人まで下がりました。
いまの子供たちが大人になっていく今後、出産適齢期の女性の数は20年間で3割程度、40年間で半数近くまで減少します。
つまり、出生率に変化がないとすると、出生者数も、20年後には3割減、40年後には半減するのです。
あの賑やかな思い出は、日本の人口構成がつくりだした一瞬の輝きだったのです。
子供のころに受けた教育や家庭環境はその人物の価値観を醸成する大きな要素といえましょう。小学校での経験、家族との関わり、大勢が集まった母の実家、小川でどじょうや沢ガニを取って遊んだ思い出・・・などが私の価値観をつくってきました。
これから、ますます子供が少なくなり、ご年配の方々が増えていきます。いろいろな意味において、人びとの格差も広がっていくでしょう。子供たちの生活も変わります。
次にはどのような価値観が生まれてくるのでしょうか。なかなか想像できませんが、よい人が育つ、よい国になってほしいと願っています。
末筆ではございますがみなさまのご多幸を心よりお祈りいたします。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
参考文献:
『デフレの正体』 藻谷浩介 (角川oneテーマ21)
『季語集』 坪内稔典 (岩波新書)
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