手の切れるような・・・
目の前に本当に素晴らしいものがあるとき、人間はそれに手を触れるのもためらわれるような憧憬と畏敬の念に打たれるものですが、両親はそれを「手の切れるような」と表現していました。
稲盛和夫『働き方』より引用
稲盛和夫さんは、「手の切れるような製品」という表現をよく使われます。
それは真新しい紙幣の手触りや質感のように、見た目にも美しく、非の打ち所がない、まさに価値ある製品のことをたとえておられます。
私も、完成したものやサービスについては「手の切れるような」と形容できるものに、少しでも近づけていけたらと思っておりますが、まだまだ努力不足で、反省反省の毎日です。
先日、刃物屋さんに入って、いろいろな刃物を見ておりましたら、とても機能的で、よく切れそうなモリブデン鋼の包丁が目に入りました。
包丁はたくさん持っておりますので、すぐに必要なものではありませんし、普通の包丁よりも高い値段がついておりました。
販売員の方が、私もこの包丁を使っているが、とても切れ味がよく、研いで研いで、ペティナイフくらいまで小さくなってもまだ使えますよ、と私に説明するのです。
それを聞きながら、この包丁で、りんごやニンジンやトマトなどを切ってみたらどうかな~と想像し、小さくなるまで研いでみたいな~とも思いました。思い切って購入してしまいました。
家でニンジンを切ってみると、力をかけなくても、すいすい切れてしまいます。トマトも皮の上から形をつぶすことなく、スッと切れます。グレープフルーツやオレンジの皮も、薄くむくことができます。(私はフレッシュジュース用なので回し切りをします)
満足してきれいに洗って、食器乾燥棚に入れておきました。
さて、翌日乾燥棚の食器を取り出そうとしたときです。
「いてっ!」
いままでの、触っても切れないような包丁でなくて、「手の切れるような」包丁を入れておいたのをすっかり忘れておりました。
中指はキズパワーパッドで治療中です。
参考文献:『働き方』 稲盛和夫 (三笠書房)
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