マネジメント教育
風に舞う花吹雪が目にまぶしい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、このブログではドラッカーの『マネジメント(中)』を読んでいます。今回は「マネジメント教育」という節をご紹介します。
すでに社会は、「どれだけの教育ある者を扶養できるか」から、「どれだけの教育のない者を扶養できるか」へと問題の焦点を移している。こうしてマネジメント教育は、企業が社会に対して果たすべき責任を果たすためにも必要とされている。
もし企業にその力がなくなれば、社会は放置しない。なぜならば、組織、特に大企業が継続して成果をあげていくことが、社会にとっては死活的に重大だからである。社会は、企業という富を生み出す機関が、有能なマネジメントの欠落のために危機に瀕することを許さないし、その余裕もない。
しかも今日の社会においては、仕事は生計の資以上のものを意味する。人は、仕事に誇りと自己実現という金銭を超えた満足を求める。したがって、マネジメント教育とは、仕事を生計の資以上のものにすることであるといって過言でない。それは、働く者が自らの能力をフルに発揮できるようにすること、すなわち仕事をよき人生にすることである。
マネジメントの人間は、育つべきものであって、生まれつきのものではない。したがって、われわれは明日のマネジメントの育成、確保、スキルに体系的に取り組まなければならない。運や偶然に任せることは許されない。
『マネジメント(中)』第33章「マネジメント教育」p55-56より引用
企業は社会の一つの機関であり、企業が社会にとって有益なことをしているから 存在を許されているのだ、というのがドラッカーの考え方です。
この文章で述べられていることは、その考え方の一つであると言えます。マネジメント教育を行って、マネジャーを育成することも、社会が企業に要請している重要なことの一つであるのです。
マネジメントはドラッカーが考えた概念ですから、せいぜいこの100年で構築されてきたことです。マネジメントの能力を生まれつき持っている人はいないのです。マネジャーは企業が育てるものであり、マネジメント教育は企業の責任の一つであります。
働く人から見ると、企業からマネジメントを教えてもらい、マネジメントができるようになる(マネジャーになる)ことで、給料の増額はもちろんですが、給料以上の価値、すなわち誇りと自己実現という満足を得ることが出来るようになるのです。
これは企業に都合の良い考え方では?と勘繰る向きもあるかもしれませんが、私はそうではないと思います。
ドラッカーは、企業を観察している中で、ボスから命令された仕事にイヤイヤ取り組んでいる労働者も見たでしょうが、一方で、マネジャーとして前向きな態度で生き生きと働き、大きな成果を上げている労働者も見たのです。これらのことから、マネジメントの構造に気がついたのではないでしょうか。
今年の夏は暑くなるそうです。みなさまどうぞご自愛くださいませ。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
参考文献:『マネジメント 課題、責任、実践(中)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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