2022年08月01日 10:00
仕事とツールへの現場の関与は、日本では継続訓練の一環である。あらゆる人間、しかもトップマネジメントまでもが、退職するまで研鑽を日常の課題とする。週一回のサークル活動が仕事の一部として日程化されている。
日本企業には、人事、教育訓練、購買などについて通信教育を受けている者、外部のセミナーに出ている者、夜間の専門学校に行っている者が大勢いる。 私はある大企業の社長から、その日の午後は溶接の勉強会に参加するのでお会いできないといわれたことがある。これは特殊な例である。しかし、コンピュータのプログラムについて通信講座を受けている社長は珍しくない。もちろん人事の若い人も通信講座を受けている。
これは、学ぶことの目的と本質が欧米とは異なるからである。儒教の伝統のある中国とも異なる。儒教では欧米と同じように、学ぶことは次の仕事のためである。”to qualify oneself for a new, different, and bigger job”
学ぶことの本質は学習曲線で示される。一定の学習によって高原に達し、そこにとどまる。
ところが、日本の考えは禅方式“Zen approach.”とでも呼ぶべきものである。学ぶことの目的は修養“self-improvement“である。いま行っている仕事を、より高度のビジョン、能力、期待値をもって行うためのものである。学習曲線に高原はない。継続学習は学習曲線を突き抜けさせる。そこから新しい学習曲線が始まる。
The Japanese concept may be called the “Zen approach.” The purpose of learning is self-improvement. It qualifies a man to do his present task with continually wider vision, continually increasing competence, and continually rising demands on himself. While there is a learning curve, there is no fixed and final plateau. Continued learning leads to a break-out, that is, to a new learning curve, which peaks at a new and higher plateau, and then to a new break-out.
すでにわれわれは、二〇世紀に入って、学ぶことの本質についての正しい考え方は儒教のそれではなく、禅のそれであることを知るにいたっている。継続学習によって人は自らの仕事ぶり、基準、同僚の仕事を知ることができる。仕事を「われわれの仕事」として見ることができるようになる。
日本の組織では、継続学習が、新しいもの、革新的なもの、より生産的なものを受け入れやすくしている。サークル活動での焦点は、常によりよくである。新しいことを違った方法で行うことである。
サークル活動はインダストリアル・エンジニアに圧力をかける。欧米ではエンジニアは現場からの抵抗を覚悟しなければならない。日本では現場からの要求に閉口する。 この継続訓練へのコミットがあるからこそ、日本では変化とイノベーションに抵抗するどころか、進んでそれを受け入れる土壌ができあがっている。同時に現場の経験と知識が不断の改善に寄与している。