目上の批判

Hitoshi Yonezu

2020年05月01日 10:00

 鯉のぼりが元気よくひるがえる青空に、新型コロナウィルスが影を落としています。日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 新型コロナウィルス感染症の蔓延により、当社は営業を自粛、縮小しております。お客さまには大変ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。電話での受付は致しておりますが、少ない人数で対応しておりますため、お時間を頂戴する場合がございますことをご承知くださいませ。
 
 さて、この状況下で、仕事や外出する機会が減り、子供から大人まで誰もが大きなストレスを感じるようになっています。あてどころのないマグマがたまりつつあります。

 私は商売をしている家に育ち、商売の場が生活の場でしたので、物心のつく頃から大人たちの醜い諍いを目の当たりにしてきました。大人たちの表の姿と裏の姿も見ました。それらはがっかりすることばかりで、美しい思い出ではありません。
 執行草舟さんの著書からご紹介いたします。

 目上を批判することは、自己の生存のもとを断つ行為となり、善悪や理屈の問題ではない。心の中で、如何に批判があっても、決して口に出してはならぬ。口に出せば、批判だけが現実化し、形として残ってしまう。時間を経なければ、全く分からないのが目上の恩恵だから、有難さが分かるまで、批判があっても決して言わないことが、世の中と自分に対する礼儀となる。
 捨てぜりふも決して口に出してはならぬ。捨てぜりふとは、絆や関係がそれで終わりになる言葉を言う。本当のことであろうがなかろうが、関係ない。弱く臆病な人間は、すぐに捨てぜりふを吐く。

            『生くる』 執行草舟(講談社) p112-113より引用


 執行草舟さんによれば、目上とは、年上の意味ではなく、恩ある人すべてを始めとして、祖先、仕事上の先達、国の歴史と文化など自分を創り上げているものの総体をいうそうです。家族、友人、同僚、組織なども含まれることでしょう。

 新型コロナウィルス感染症の問題が一刻も早く解決し、平和な世の中が戻りますことを、強く願っております。みなさま、そのときの幸せな状況を想像しながら、ここを生き抜いていきましょう。どうかお身体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
 
 日頃のご愛顧に感謝を申し上げます。またお会いできる日を楽しみにしております。

  


 参考文献:
 『生くる』 執行草舟 (講談社)
 

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