従業員満足と動機づけ
ようやく春めいてまいりましたが、みなさまいかがお過ごしですか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
人口減少が進むなか、企業における人材確保は大きな問題です。飲食サービスを始め、建設、医療、小売りなどでは深刻な人手不足が続いています。採用に人材が殺到することで知られていた人気のカフェも、いまでは簡単には人材は集まらないと聞きます。
人手不足といえば従業員満足の話になりますが、ドラッカーは1954年の時点で、すでにこの言葉を否定していました。
満足は動機づけとして間違っている。満足とは受け身の気持ちである。確かに、強い不満をもつ者は辞めていく。辞めなければ不満をもち続け、企業やマネジメントに背を向ける。しかし、それでは満足な者はいったい何をするか。
要するに、企業は働く人に対し、進んで何かを行うことを要求しなければならない。企業が要求しなければならないことは仕事であり、受け身の気持ちなどではない。
今日、従業員満足が関心を集めている理由は、産業社会において、もはや恐怖が動機づけとなりえなくなったからである。しかし、従業員満足に関心を移すことは、動機づけとしての恐怖が消滅したことによってもたらされた問題に正面から取り組まず、横に逃げているにすぎない。今日必要とされていることは、外からの恐怖を仕事に対するうちからの動機に代えることである。ここにおいて意味あるものは満足ではなく責任である。
他の者が行うことについては満足もありうる。しかし、自らが行うことについては責任があるだけである。自らが行うことについては常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない。
『現代の経営(下)』 p160-161より引用
奴隷制度を持ち出すまでもなく、かつて上司は恐怖によって部下を支配していました。当然ですが、いまでは、恐怖によって人を動かすことはできませんし、やるべきでもありません。かといって、どんなに待遇や職場をよくしても、仕事に対する部下のやる気は続きません。
企業としてやらなくてはならないことは、社員の力の源を「内面からの動機」に変えていくことです。社員としては、自分で決めて自ら口にしたことは、自分で解決しなくてはならないわけで、責任が発生します。これが本来の自己目標管理であるわけです。逆にいいますと、環境や職場について不平不満を言いたい人は、その前に責任を果たしているかを自問すべきです。
実は、そもそも働く人が責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。もはや恐怖を利用することができなくなった今日、企業は働く人に対し、責任をもつよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにする必要がある。
『現代の経営(下)』 p162より引用
国内の消費型のビジネスにおいては、高度成長の時代と違って、短期間で売り上げを何倍にも増やすようなことはできにくくなりました。規模の達成感が希薄になったいま、社員としては人の役に立つやりがいのある仕事を担っていくことが、自身の仕事や人生を切り開く原動力になるでしょう。企業としては、そのような価値ある仕事をいかに社員に与えることができるか、です。
当社も社員たちがお互い家族のように信頼し合いながら、それぞれが責任をもって前進できる組織でありたいと思っています。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
参考文献:
『現代の経営(下)』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
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