マネジャーとは何をする人か?

Hitoshi Yonezu

2016年10月01日 10:00

 小春日和のうららかな季節となりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 さて「マネジャー」とは何をする人だと思いますか?
 ドラッカーは次のように述べています。(経営管理者=マネジャーと考えてください。)

 第二次世界大戦中とその直後、私が初めてマネジメントの研究を始めた頃、経営管理者とは「部下の仕事に責任をもつ者」と定義されていた、いい換えればボスであり、地位と権力を意味した。
 いまなお多くの人たちが、マネジメントというと心に描くであろう定義がこれである。しかし一九五〇年代の初めにはすでに、経営管理者とは「他の人の働きに責任をもつ者」と定義されるようになっていた。しかも今日われわれは、この定義さえあまりに狭義であることを知っている。正しくは「知識の応用とその働きに責任をもつ者」である。
 
        『ポスト資本主義社会』 p59より引用


 何かにつけて激怒するマネジャーはいまでもいると思いますが、恐怖によって人を支配する経営は昔のことになりました。それで経営がうまくいくならある意味簡単ですが、部下を罵倒したところでよくなることはありません。そもそも部下を支配するという考え方は奴隷支配に端を発するものですから、現代に合うはずがありません。

 いまは、知識社会であり、組織社会ですから、どんな仕事をするにも知識のかたまりが必要ですし、部下のみならず横の関係にある人や上司に動いてもらわなければ、仕事は進みません。
 続きの部分をご紹介します。

 このような定義の変化は、知識が中心的な資源と見られるようになったことを意味する。今日では、土地、労働、資本は主に制約条件として重要である。それらのものがなければ、知識といえども何も生み出せないし、経営管理者がマネジメントの仕事をすることもできない。だがすでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識への応用がなされれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。

         『ポスト資本主義社会』 p58-59より引用


 「知識の知識への応用がなされれば、土地、労働、資本という制約条件が解除できる」と見通したところはさすがドラッカーと思いました。
 部下をまとめるとしても、どうしたらみんなが士気高く前向きに動いてくれるかは、知識のなせる技です。お金がないから新規事業ができないということもありません。有望なビジネスモデルを論理的に説明できれば、出資者は集まるはずです。

 こう考えてくると、精神的な圧力によって人を支配するのは、非常に小さくて古臭いことに思えます。他人を精神的に支配したい人は何か別の意図があるのでしょう。
 若者や新人に社会の厳しさを教えることは必要かもしれませんが、もう立派な社会人になった社員をいくら叱っても動きません。もっと大きなところ、高いところから組み立てをして、本人に納得してもらう必要があります。マネジャーは大きな構想をもたなくてはならないのです。

 機械化、IT化がだいぶ進み、いまではAI化に移ってきています。この数年で世の中は大きな変化をするかもしれません。知識を知識に応用するマネジャーの働きがますます期待されています。

 いつも当社をご利用いただき、ありがとうございます。今月もご指導のほどよろしくお願いいたします。

 参考文献:『ポスト資本主義社会』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


  


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