個人事業の法人化

Hitoshi Yonezu

2015年03月02日 10:00

 日ごとに暖かさを感じられるようになってまいりました。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。

 日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。

 先日、ある会合の席で、個人で事業をされている友人から、法人にしようかどうかを迷っている、という話を聞きました。起業すると一人で事業が始まりますが、事業規模が拡大するにつれ、やがてこのような問題が起こってくるのでしょう。
 私は家族の経営していた企業を継承しましたので、法人化するかどうかという悩みはもったことはありませんでした。ただ、法人といっても家族経営でしたから、そこからだんだんと改革を進め、まだ道半ばといったところです。有限会社から株式会社に改組したときに悩んだことが頭をかすめました。

 こういうときの私の先生はドラッカーです。ドラッカーはどんなことを言っていたかな~と著書を繙いてみました。

 ドラッカーの『現代の経営』にはヘンリー・フォードの失敗について書かれた「フォード物語」という章(第10章)があります。後継者として期待されていた息子を亡くしたヘンリー・フォードは、当時10億ドル規模だった巨大企業フォードにおいて、社内の秘密警察的な機能と技術者だけを優遇し、経営管理者抜きでマネジメントをしていました。

 老フォードは、フォード社を個人の所有物としてマネジメントした。そして彼の経験は、法律上の規定はどうあれ、近代企業がそのようにはマネジメントされえないことを明らかにした。企業に寄託された資源は、一人の人間の一生という時間的な制約を超えて富を生む。企業は永続する。そのためには経営管理者が必要である。
 また、企業のマネジメントはあまりに複雑であって、たとえ中小であっても一人の人が助手を使って行うことはできない。組織化され一体化したチームが必要である。チームのメンバーが、それぞれマネジメントの仕事を行うことが必要である。 

                『現代の経営(上)』 p162より引用


 私の友人の経営者のなかには、自分の代をもって廃業する、と宣言している方もいます。個別の事情もありますから、それはそれで一つの考え方です。
 一方で、経営者として事業に資源を投入し、事業を通じて社会の役に立とう、社会に富を生んでいこう、と考えるならば、自分がいなくなっても事業を終わらせず長く続いていくことを望むでしょう。

 確かに発生学的には、マネジメントは、小さな事業のオーナーが一人では果たせなくなった仕事を助手たちに代理させることから生まれる。そして事業の成長すなわち量的な変化が、マネジメントを必要不可欠の存在にする。しかし、そこにもたらされる変化は質的なものである。
 
               『現代の経営(上)』 p163より引用 


 事業の成長はマネジメントの機能を要求しますが、企業となってマネジメントの機能を執行した結果として現れるのは、量的な変化だけではなく、質的な変化です。

 ひとたび企業となるや、マネジメントの機能はもはやオーナーの助手として定義することはできない。マネジメントは客観的なニーズによる機能をもつ。それらの機能を軽視し否定することは、企業そのものを破滅させる。
 
               『現代の経営(上)』 p163より引用 


 企業となったら、マネジメントの機能を執行せねばなりません。身内だからといって許されていた甘えはなくなるでしょう。例えば、経理を任せていた奥さんが長時間の残業を厭わなかったとしても、雇った社員の方が担当するとなれば、そういうわけにはいきません。

 友人の話を聞いたときに、法人化するならばすればいいのに・・・・・・と簡単に考えていましたが、法人化して企業組織になるということは、単に名称の変更だけではない大きな変革です。家族の理解や覚悟も必要でしょう。その決定に逡巡があるのはもっともなことです。最後は社長の決断にかかります。
 いずれの道に進むにせよ、起業家のチャレンジです、うまくいってほしい、と思いました。

 末筆となりますが、みなさまのご繁栄を心よりお祈り申し上げます。今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 いつもご利用ありがとうございます。

  


 参考文献:
 『現代の経営[上]』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
 


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