終身雇用制のいま

Hitoshi Yonezu

2014年11月06日 10:00

 ドラッカーの『明日を支配するもの』第6章「自らをマネジメントする」より引用いたします。

 日本は、働く者が動かないようにすることによって、社会として歴史上類をみない成功をおさめてきた。それが終身雇用制だった。終身雇用制のもとでは、個々の人間をマネジメントするのは、明らかに組織のほうである。個々の人間は動かないことを前提としている。働く者は、あくまでもマネジメントされる存在だった。
 私は、日本が、終身雇用制によって実現してきた社会的な安定、コミュニティ、調和を維持しつつ、かつ、知識労働と知識労働者に必要な移動の自由を実現することを願っている。
 これは、日本の社会とその調和のためだけではない。おそらくは、日本の解決が、他の国のモデルとなるであろうからである。なぜならば、いかなる国といえども、社会が真に機能するためには、絆が不可欠だからである。もちろんその暁には、日本は今日とはまったく違う姿となっているであろう。

      P.F.ドラッカー 『明日を支配するもの』 p233より引用


 『明日を支配するもの』は1999年の著作です。

 1990年代から2000年代は日本の終身雇用制にゆがみが生じ始めた頃ではないでしょうか。

 いまでも長期雇用の慣行はありますが、本来の意味での終身雇用が今でも生きているのは、大企業の男性社員のみでありましょう。
 うちの会社なら、勤続ということなら20年以上の者は何人かおりますが、新卒で入社して10年以上継続して勤務しているのは一人の男性だけです。

 ドラッカーは、日本の雇用制度の未来に期待をしていました。

 社会の絆を保ったまま、知識労働者が自由に労働市場を移動できる世界です。

 欧米のように報酬や待遇によって軽々と仕事を変えてしまうのではなく、社会的な調和を保ちながら、転職ができる世界です。

 そこでは、報酬がよいという理由だけで他社に移るのではなく、次の企業で自分の力を生かせる新しい仕事に就いて、さらに貢献の範囲を広げられるようになります。本人を成長させ、同時に転職元、転職先双方の企業の成果もあげられるような転職です。
 元の会社との関係も悪くなく、場合によっては復職もありうるのです。

 労働者は同業あるいは関連した業態のどの企業へ行っても有効な知識、経験を積み重ねていかねばなりませんし、企業としては年功賃金や古い慣習を捨てて、社員を送り出すこと、受け入れることに柔軟にならなくてはなりません。全体として社会の価値が高まっていくような労働市場です。

 私が二十数年前、大学を卒業して新卒で入社したのは上場している大企業でしたが、そこでは、終身その会社で働くことを一つの理想としていたように思います。特に研修においてそのような感じを受けていました。
 
 いまでは、正社員という形にしがみついているような労働者もいますし、リスクを避けるために雇用を増やせない企業もあります。
 
 労働法の改正について議論がされていますが、まだ理想の形は見えていないように思います。 

  


 参考文献:
 『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

 『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー (キングベアー出版)
 

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