第二の人生とは
ドラッカーの『明日を支配するもの』第6章「自らをマネジメントする」より引用いたします。
今日、中年の危機がよく話題になる。四五歳ともなれば、全盛に達したことを知る。同じ種類のことを二〇年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことは残っていない。仕事に心躍ることはほとんどない。
P.F.ドラッカー 『明日を支配するもの』 p225より引用
私はその45歳も越え、47歳になりましたが、まだまだこのような感じはもっていません。私と同世代の友人にもこのようなことを言っている人はまだいないように思います。
『明日を支配するもの』が発行されたのは1999年ですから、いまから15年前です。考え方が変わるほど大昔のことではありません。
アメリカと日本における、働き方や組織に対する考え方の違いかな、とも思います。
この文章に続いて、肉体労働者と訳される"manual worker"(マニュアルワーカー)については、余生はゴルフ、釣りなどの小さな趣味で十分である、と書かれています。
ちなみに、肉体労働者(マニュアルワーカー)とは、日本で意味する肉体労働とは違います。
参考:マニュアルワーカー
http://highlyeffective.naganoblog.jp/e1410679.html
知識労働者の後半人生については次の文章です。
ところが、知識労働者は何歳になっても終わることがない。文句は言っても、いつまでも働きたい。とはいえ、三〇歳のときには心躍る仕事だったことも、五〇歳になれば退屈する。だが、あと二〇年とはいかないまでも、一〇年、一五年は働きたい。したがって、第二の人生を設計することが必要となる。
P.F.ドラッカー 『明日を支配するもの』 p226より引用
「第二の人生」について三つの方法が示されていますが、それは次回ご紹介します。
そうはいっても、経営者なら当然、責任をとるまでやり続けなくてはなりません。私も自分のために組織を放り投げることはできません。
日本では会社一筋でやってきた方に称賛が与えられる文化があります。(商工会議所では永年勤続表彰を行っています。)
「第二の人生」を送る人は増えていると思いますが、日本人にとってはまだ苦手なことだと思います。
ただ、もしいまの仕事で燃え尽きてしまったような人がいたとしたら、その人にとっても、組織にとっても、もったいないことです。
「第二の人生」を考えるときです。
参考文献:
『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー (キングベアー出版)
関連記事