自らの果たすべき貢献は何か

Hitoshi Yonezu

2014年09月09日 10:00

 ドラッカーの『明日を支配するもの』第6章「自らをマネジメントする」より引用いたします。

 このように、自らの貢献は何かとうい問いに答えを出すためには、三つの要素を考える必要がある。第一は、状況が求めるものである。第二は、自らの強み、仕事の仕方、価値観である。そして第三は、成果の意義である。
 そこから、とるべき具体的な行動が明らかとなる。行うべきこと、始めるべきこと、始め方、目標、期限である。
 全人類の歴史を通じて、これまでこのような選択肢をもちえた者はほとんどいなかった。みな、運命か主人によって、行うことが決められていた。その仕方も、同じように決められていた。目標も決められていた。
 他方、単に好きなことをするというだけでは、自由はもたらされない。気ままにすぎない。それではいかなる成果も上げられない。いかなる貢献も行なえない。自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる。


      P.F.ドラッカー 『明日を支配するもの』 p218より引用


 第6章3節「果たすべき貢献」の最後の部分です。少し長い引用になってしまいました。

 もはや、我が国においては、上司からの指示、命令のみによって動く人は、あまり誉められることはないでしょう。

 日本は世界で最も進んだ国の一つです。どんな業種のどんな職種の人であっても、知識労働者たりえます。機械のようにプログラム通りに動くのではなく、場面によって少しは自分の頭を使って仕事をしてみなさい、というのが組織からの願いです。

 一方で、好きなことをする、ということの薄さのようなものもだんだん見えてきました。

 好きなことをしているうちに、社会や人の役に立つことが見つかって、それが継続すればよいことです。

 しかし、人と人の隙間、社会の隙間で好きなことをしているだけでは、結局好きなことをした、というだけになってしまいます。

 好きな趣味を生かして、センスのよいお店を開いたとしても、ある一定の期間継続して営業をして、反復して利用してくださるお客さまがつかなければ、役に立ったとはいえないでしょう。それでは趣味になってしまいます。
 実際のところ、たとえば趣味で開いた喫茶店が長く続いているということはあまりないわけです。お客さまのお役に立っていないからです。

 生き生きと人生をおくるために、誰かの役に立っている、社会にとって必要とされている、ということを実感できることが必要です。周りからもそう認めてもらわなくてはなりません。

 「自ら果たすべき貢献は何か」という問いからスタートするのです。

  


 参考文献:
 『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
 

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