成果主義とドラッカー
残暑お見舞い申し上げます。みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
私はしばらく前までは一か月20冊を目標に多種多様な本を乱読していました。
いまは事情によりドラッカーばかりを読んでいます。ドラッカーの著書は丁寧に読んでいく必要があるため、他の読書がだいぶ減ってしまいました。
一人の著者の本を継続して読んでいくのは初めての経験で、続けているうちに飽きてしまうかもしれないと思っていましたが、これはこれでおもしろいと感じています。
特に他の本を読むときに「ドラッカー的に読むとどうなるか?」と切りながら読むのは楽しいです。
最近読んだ養老孟司さんの『「自分」の壁』に次のような記述がありました。
アメリカのようにクビにしても平気、というようなことは日本では成り立ちません。土台の文化が違うのです。
企業が、構成メンバーの安定や幸せを求めるのならば、欧米式の業績主義、成果主義には無理があります。メンバー全員が有能だなんてことはありえないからです。ある程度は、できない人が必ず混じっている。そのことをまず認めなくてはならない。
そもそも仕事のかなりの部分は、できない人のフォローです。
『「自分」の壁』 p112より引用
養老さんは成果主義について欧米との対比で説明されていますが、実は、欧米人であるドラッカーはこのことはよく承知していたのです。
組織の目的は、凡人をして非凡なことを行なわせることにある。天才に頼ることはできない。天才はまれである。あてにできない。凡人から強みを引き出し、他の者の助けとすることができるか否かが、組織の良否を決定する。同時に、組織の役目は人の弱みを無意味にすることである。要するに、組織の良否は、そこに成果中心の精神があるか否かによって決まる。
『マネジメント 基本と原則[エッセンシャル版]』より引用
ドラッカーのいう成果とは、いわゆる「成果主義」のいう成果とは違います。
日本で成果主義といえば、組織や上司の決めた数字を達成することを成果と考えますが、ドラッカーの成果とは直接的な成果だけでなく、社会における価値や人材の育成なども意味します。また、売上や利益を目的とすることはありませんし、目標は他人が決めるものではなく自分で決めるものです。
組織を評価する基準は天才的な人間の有無ではない。平凡な人間が非凡な成果をあげられるか否かである。
『経営者の条件』 p113より引用
平凡な人間に非凡な成果をあげさせることができるかどうかが、組織にとっての大きな問題です。
平凡な人間を非凡な人間に成長させるという難しい命題よりも先にすべきことがあります。組織には普通の平凡な人間が必要です。その方たちの能力をいかに生かせるか?です。それは組織が組織であるための存在意義といってもよいでしょう。
「仕事のかなりの部分は、できない人のフォロー」だと言い切った養老さんの言葉は明快ですが、それそのものがドラッカーのマネジメントだ、と私は読みました。
いつもご利用いただきありがとうございます。
猛暑が続きますが、お体を大切に過ごされますようお祈り申し上げます。今月もどうぞよろしくお願いいたします。
参考文献:
『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
『「自分」の壁』 養老孟司 (新潮新書)
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