経営者の独善的投資
ドラッカーの『経営者の条件』第5章「最も重要なことに集中せよ」142pより引用します。
昨日ご紹介した文章のすぐ後に出てくる文章です。
完全な失敗を捨てることは難しくない。自然に消滅する。ところが昨日の成功は非生産的となったあとも生き続ける。もう一つそれよりもはるかに危険なものがある。本来うまくいくべきでありながら、なぜか成果のあがらないまま続けている仕事である。
そのような活動は、拙著『創造する経営者』でも説明したように、「経営者の独善的投資」となり、やがて神聖さまで帯びてくる。そのような活動は、厳しく排除しなければ組織の血を奪ってしまう。そしてそのときこの当然の成功をもたらすための不毛な試みに浪費されるのが、最も有能な人たちの能力である。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』より引用
ある製造業の社長が分かりやすい例をあげてくれました。
その会社では20年以上前に作った製品の在庫がずっと存在しているのだそうです。その製品はいまはもう全く使えないのですが、その会社の当時の技術力を示す記念的な意味あいがあるようです。
その方はドラッカーをよく理解されている方ですので、これからは変えてなくてはならない、とおっしゃっていました。
こういう気持ちは私にもよく分かります。ずっと同じ会社にいると、昔の成功体験は大切にしたいものです。
うちの母が仕事の話をすると、まず出てくるのは「昔は」という言葉です。
売れない商品やサービスが「経営者の独善的投資」となり、誰も触れることのできないような「神聖さ」まで帯びてしまったら、経営としては決して好ましいとは言えません。
特に、会社の創業者、会長、相談役などが続けているようなことには、目上の人を敬うという意味合いや伝統という意味合いが入り込んでしまって、誰も手を触れられず、動かしがたいものとなります。
会社に何の貢献もなく、利益も出ていないのに、むしろ誇りにしてしまっているケースもあるのではないでしょうか。
オーナー系の中小企業の場合は、往々にしてこういうことが起きやすいですから、気をつけたいことです。
参考文献:
『経営者の条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(訳) (ダイヤモンド社)
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