毎日がつまらないとき

Hitoshi Yonezu

2012年08月29日 10:00

 ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』Part5 より引用します。

 日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行うよう自らを駆り立てる必要がある。「燃え尽きた」とは、たいていの場合、飽きたというだけのことである。たいしたことでもないもののために朝出かけるほど、疲れを覚えるものはない。ほとんどの仕事は繰り返しである。
 喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない。仕事に飽きるということは、成果をあげるべく働くのをやめるということである。目もまた、石臼を見ているに違いない。

            『プロフェッショナルの条件』p214より引用


 私はさすがに「燃え尽きた」と感じたことはないですが、毎日が同じことの繰り返しになってしまって、刺激がないなあと感じたことはあります。
 
 そうなったら新しいことを探して挑戦です。

 日常が心地よくなり刺激がなくなる→新しいことに挑戦する、この繰り返しかなあと思います。

 ただ、ドラッカーが述べているように、新しいことをやってみても成果が上がらないと、喜びにはつながりません。

 成果には定量的なことも定性的なこともありますが、それを行ったことでどなたかが喜んでくださることです。

 どなたかが喜んでくださっていることを知るまでは修行です。
 もしもいつまでもそれがみえてこなかったら、自己満足なのかもしれません。

 自分のことであれば自己満足で終わるのもよいですが、ドラッカー的にいいますと、常に「成果のためにどんな貢献をするのか」ということが問われます。

  


 参考文献:『プロフェッショナルの条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(編訳) (ダイヤモンド社)
 

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