毎日がつまらないとき
ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』Part5 より引用します。
日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行うよう自らを駆り立てる必要がある。「燃え尽きた」とは、たいていの場合、飽きたというだけのことである。たいしたことでもないもののために朝出かけるほど、疲れを覚えるものはない。ほとんどの仕事は繰り返しである。
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない。仕事に飽きるということは、成果をあげるべく働くのをやめるということである。目もまた、石臼を見ているに違いない。
『プロフェッショナルの条件』p214より引用
私はさすがに「燃え尽きた」と感じたことはないですが、毎日が同じことの繰り返しになってしまって、刺激がないなあと感じたことはあります。
そうなったら新しいことを探して挑戦です。
日常が心地よくなり刺激がなくなる→新しいことに挑戦する、この繰り返しかなあと思います。
ただ、ドラッカーが述べているように、新しいことをやってみても成果が上がらないと、喜びにはつながりません。
成果には定量的なことも定性的なこともありますが、それを行ったことでどなたかが喜んでくださることです。
どなたかが喜んでくださっていることを知るまでは修行です。
もしもいつまでもそれがみえてこなかったら、自己満足なのかもしれません。
自分のことであれば自己満足で終わるのもよいですが、ドラッカー的にいいますと、常に「成果のためにどんな貢献をするのか」ということが問われます。
参考文献:『プロフェッショナルの条件』 P.F.ドラッカー(著) 上田惇生(編訳) (ダイヤモンド社)
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