すがすがしい初夏の季節となりました。みなさまいかがお過ごしですか。
日頃は大変お世話になっております。誠にありがとうございます。
さて、前回のブログで、AI化の進展により世の中が便利になるという話題を申し上げましたところ、人間の仕事がロボットにとられてしまうのでは?という声がありました。
この点について、経営の視点から考えてみます。企業はお客さまのお役に立つために存在していますから、知恵を絞って、お客さまに喜んで頂けるように努力することが第一義です。お客さまのお役に立つためには、社長一人で出来ることは限られていて、従業員の力が絶対に必要です。
仕事がロボットにとられてしまうのかどうかの境界線は、指示命令されたこと、決まりきったことだけしかやらない人なのか、自ら仕事の方法を改善したり企画したりして成果をあげることができる人なのか、ではないかと思います。
ドラッカーは、それぞれを肉体労働者、知識労働者と名づけ、区別しました。(上田惇生さんの翻訳です。)
肉体労働者とは、日本語の文字通りの意味ではありません。原語ではmanual workerとなっており、マニュアルに書かれたその通りのことしかできない人のことを指すと考えてよいでしょう。
一方、知識労働者とは知的な仕事に就く人のことを指すのではなく、どのような業種のどのような仕事を担当する人であっても、自分の仕事に知識を応用し、仕事の成果を改善出来る人のことを指します。
ドラッカーは次のように述べています。
肉体労働者と知識労働者の違いは、彼らをめぐる経済的な原理において最も大きい。経済学も、現実の企業経営も、肉体労働者をコストとして扱う。しかるに、知識労働者を生産的な存在とするためには、資本財として扱わねばならない。コストは管理し、減らさなければならないが、資本財は増やさなければならない。
『明日を支配するもの』 P175 より引用
私としましては、従業員には企業が成長するとともに人間的に成長してほしいですし、この考えに賛同してくれる人を雇用したいと思います。そしてmanual workerに甘んじることなく、知識労働者としての自らの地位を固めてほしいです。
少なくとも、すべての人間の仕事が、ただロボットにとられてしまうことはないと考えます。
いつもご利用ありがとうございます。今月もよろしくお願いいたします。
参考文献:『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー (ダイヤモンド社)
米津仁志 at 10:00
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